あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止問題、論点まとめ

いまだに騒動の続く「表現の不自由展・その後」展中止問題。それほど複雑な話ではないと思うのだが、連鎖的に政治家の発言や脅迫行為などを引き起こしたので、問題が重層化しているのだろう。そこで個人的に論点をまとめてみた。

 

前提として、津田氏のインタビュー発言(webDICE)にあるように「「慰安婦」問題がこの企画のコア」だったということは強調しておきたい。また、今回の「不自由展」のテーマに最もふさわしいと思われる、会田誠氏の「檄」という作品を、津田氏が推薦したのだが、実行委員会の岡本有佳氏が反対している。このことは、実行委員会が本当に「表現の自由」に関心があったのか?という疑問を抱かせる。

 

 

①芸術
①-1 「表現の自由」の侵害
①-2 検閲かどうか
①-3 開催3日で中止したのは妥当か
①-4 天皇の肖像の扱い 
①-5 「平和の少女像」(慰安婦像)は展示にふさわしいか

②公共性
②-1 政治家の発言が適切か
②-2 公金が投じられた芸術祭のあり方
②-3 展示に至る経緯の妥当性

③運営
③-1 芸術監督は津田氏でよかったのか?騒動後の対応は?
③-2 抗議・脅迫・テロ予告
③-3 安全性確保、苦情対応

④その他の反応
④-1 一部の作品がヘイト(差別煽動)なのかどうか 
④-2 マスコミの煽り

 


①芸術
①-1「表現の自由」の侵害
https://www.asahi.com/articles/ASM8G5SFJM8GUPQJ005.html
横大道聡教授(憲法学)によれば、「刑事罰などによって表現活動を妨げられた訳ではないので、直ちに表現の自由の侵害ということは困難を伴う」とのこと。
http://haps-kyoto.com/haps-press/geijyutuhanreisyu/25sen/
本展の出品作家大浦信行氏が関わる、「富山県立近代美術館天皇コラージュ事件」では収蔵品・図録の閲覧禁止をめぐる裁判で、作家が作品及び図録を鑑賞してもらう権利の侵害を理由で訴えを起こすも、原告の全面敗訴。

→美術展からの作品の撤去を「表現の自由」の侵害とみなすことは難しそう。しかし、抗議の起きそうな作品展示を自粛する傾向を生んでしまうので大いに問題あり。芸術を「自然権における自由」の象徴として捉えるなら、一度展示の許可を得たものを行政が撤去するのは最大限慎重になるべきで、近代国家としての成熟度が試されると言えるのではないか。

 

①-2 検閲かどうか
https://blogos.com/article/395951/
辻田真佐憲氏は「検閲も、政府が原則として法律にもとづいて行うものですから、今回の展示中止に至る事態を、ただちに「検閲」と断じていいものかどうか」とのこと。

→「検閲」は世の中に出せないよう政府が取り締まるもので、今回の展示中止は「検閲」ではない。

 

①-3 開催3日で中止したのは妥当か
http://haps-kyoto.com/haps-press/geijyutuhanreisyu/25sen/
富山県立近代美術館天皇コラージュ事件」控訴審では、外部団体による執拗な抗議などから、美術館の管理運営上の支障を生じる高い可能性があることが客観的に認められる場合には不許可や拒否を行う正当な理由となった。

→事前の議論無しにわずか3日で中止したのは問題があると思われる。抗議が起こるのは十分に予想できたので、事務局の怠慢と言われても仕方がない。脅迫やテロ予告などに対する対応が妥当だったのか検証が必要。個人的には「平和の少女像」(慰安婦像)を除いて再開すべきだと思う。

 

①-4 天皇の肖像の扱い 
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2230/KJ00000692792-00001.pdf
天皇についてはプライバシーの権利や肖像権は制約を受けることになる」と判示

→日本の象徴である天皇に対する社会通念上の敬意が必要。どこが限度なのかは議論を深める必要がある。

 

①-5 「平和の少女像」(慰安婦像)は展示にふさわしいか
→すでに本ブログで書いているが、慰安婦像は政治性を上回るだけの芸術性を説明できていないので、韓国の政治的プロパガンダの影響下にある。公共的な美術展には、明確にふさわしくない政治運動の一環と言える。

https://nikkan.hateblo.jp/entry/2019/08/07/225057

https://nikkan.hateblo.jp/entry/2019/08/09/085338

https://nikkan.hateblo.jp/entry/2019/08/17/201334

 

 

②公共性
②-1 政治家の発言が適切か 
https://www.tokai-tv.com/tokainews/article_20190802_92815
河村たかし名古屋市長「日本国民の心を踏みにじるものだねこれは、これはいかんと思いますよ」「即刻展示を中止していただきたいですね。表現の自由って…自由ってなんで認められるかというと、『自由の相互承認』といいますけど、どう考えても日本国民の心を踏みにじるものだね、これは。日本人の税金を10億も使った場所で、あたかも公的にやっているように見えますわね」
菅義偉官房長官「審査時点では具体の展示内容についての記載はなかったことから、補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査した上で適切に対応していきたいと思います」

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20294
松井一郎大阪市長「税金投入してやるべき展示会ではなかった。表現の自由とはいえ、たんなる誹謗中傷的な作品展示はふさわしくない。慰安婦はデマ」


→河村市長の発言は「展示の中止」に言及した所に問題がある。菅官房長官の発言は問題なし。1998年の全米芸術基金に関する米連邦最高裁判決に見られるように、文化庁が執行前の予算を精査することは当然。松井大阪市長の発言は「たんなる誹謗中傷的な作品」「慰安婦はデマ」について詳細に説明しないと無責任。

政治家が、すでに展示の許可を得たものについて発言する時は、最大限の注意を払うべき。近代国家として「自由」を遵守していないと、外国から思われても仕方ない。

 

②-2 公金が投じられた芸術祭のあり方
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2230/KJ00000692792-00001.pdf
富山県立近代美術館天皇コラージュ事件」控訴審判決では「芸術上の表現活動の自由についていえば、芸術家が作品を製作して発表することを公権力によって妨げられることはないが、公権力に対し、芸術家が自己の製作した作品を発表するための行為、たとえば、展覧会での展示、美術館による購入等を求めることはできないといわなければならない。」とされる。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20275
本作のミニチュアは2012年の公募展「JAALA国際交流展」(東京都美術館)でも展示されたことがあるが、同館の運営要項に抵触するとして会期4日目に撤去された経緯がある。
https://www.tobikan.jp/media/pdf/report_management.pdf
施設等使用の不承認基準-条例第 3条関連
(3) 実施する事業が特定の政党・宗教を支持し、又はこれに反対する等、政治・宗教活動をするためのものと認められるとき。

→公共施設や公金の支出に基準があるのは当たり前。「表現の自由」で何でも出来るようになる訳ではない。


②-3 展示に至る経緯の妥当性
→冒頭に書いたとおり、津田氏のインタビュー発言(webDICE)にあるように「「慰安婦」問題がこの企画のコア」だったということは大いに問題がある。

http://www.webdice.jp/dice/detail/5849/
そして、会田誠氏の「檄」という作品の展示を、実行委員会の岡本有佳氏が反対したことは、明らかに政治運動家としての目論見が感じられる。

個別の作品が政治的であることには何の問題もない。それを展覧会として組み上げる時に、展示の狙いがどのようなものかが重要になる。政治的に偏りすぎた「不自由展」の開催経緯を詳細に検証すべき。

 

 

③運営
③-1 芸術監督は津田氏でよかったのか?騒動後の対応は?
→津田氏が芸術監督に選ばれたと聞いたときは、個人的には「何で?」という印象を持った。分野外の人間が芸術監督を務めることは悪くないと思うので、良い先例となるように頑張って欲しい。現在までの津田氏の対応は良いとはいえない。美術展における「表現の自由」が後退してしまった感すらある。会期終了後に津田氏を芸術監督として選んだ妥当性を検証すべき。

 

③-2 抗議・脅迫・テロ予告
→度を超えた執拗な抗議や脅迫・テロ予告は取り締まるべき。個人的には「不自由展」の企画者にもっとも抗議すべきであって、個別の作品は会場で鑑賞し背景を理解した上で抗議文などを書くのが適切だと思う。慰安婦像は即刻撤去すべき。

 

③-3 安全性確保、苦情対応
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20283
津田大介芸術監督「リスクの想定、展示への対策は最優先にして進めてきましたが、想定を超える事態となってしまった。円滑な運営ができないと判断したことをお詫び申し上げます」「電凸(でんとつ)することで公立の文化事業を潰せてしまう、という表現の自由が後退する悪しき事例をつくってしまった」

https://mainichi.jp/articles/20190818/k00/00m/040/315000c
津田大介芸術監督「来場者を人質に取るような芸術、文化へのテロリストの要求に屈した」

→あまりにもお粗末な事務局の対応。歯を食いしばってでも展示を継続させるのが「表現の自由」を守ることではないのか。天皇や日本軍を否定的に扱うような作品を作れば、保守系の方面からの苦情が殺到するのは誰でも予想できる。もし、展示中止が最初から狙いだったとすれば、相当悪質である。

 

 

④その他の反応
④-1 一部の作品がヘイト(差別煽動)なのかどうか 
→政治的な主張を込めた芸術作品は過去にも多く作られているので、個別の作品や作家の思想については丁寧に検証した方がいいだろう。「不自由展」の問題は、そのような作品が「あいちトリエンナーレ 2019」で集められたことである。国際展という場での、慰安婦問題や日本軍批判への奇妙な偏りが「ヘイト」という言葉を連想させてしまっている。

 

④-2 マスコミの煽り
https://dot.asahi.com/wa/2019080700102.html?page=3
戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏「大日本帝国にシンパシーを感じている政治家たちが自分たちの政治的意図を達成するために、あたかも日本人全体に対する攻撃であるかのように話をすり替えているのです」

https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/azuma
企画アドバイザーを務めていた東浩紀氏「『表現の自由』vs『検閲とテロ』という構図は、津田さんと大村知事が作り出した偽の問題だと考えています」

→個人的には「不自由展」の最大の問題は、慰安婦像の展示という「外交問題」だと思っている。革新系のメディアは「表現の自由」が政治家やテロに侵害されたことを書いて、古くさい保守vs革新の対立のように仕立てているが、そのせいで議論全体が進んでいない。展示が中止されてしまった元々の原因を考えれば、「表現の自由」が問題の核心ではないことはすぐに分かるはず。

 

 

これらの論点には、重要なものあるし、古くさい政治対立もまざっている。


ものすごく単純化して結論づければ「左よりの運動家が国際芸術祭を台無しにした」ということだろう。政治運動をやりたければ、「あいちトリエンナーレ 2019」とは関係のないところでやるべきだ。