無限の謝罪を要求する韓国

韓国の文大統領は8月29日「過去を記憶して省察することには終わりがない。一度反省をしたので反省が終わったとか、一度合意したので過去として過ぎ去ったとして終えられるものではない」と日本を批判した。まるで朴槿恵前大統領の「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」という発言を彷彿とさせる。

 

韓国はなぜ何度も謝罪を求めてくるのか?

 

実は、言葉通りに真正性のある謝罪をして欲しいという意図ではない。一言でまとめるなら「罪人・格下として無限に言うことを聞け」ということになるだろうか。これには以下のような二つの背景がある。

 

・謝罪=永遠に罪人 
・謝罪=格下

 

一つ目は、罪人は永遠に罪人であり、文字通り「死者に鞭打つ」文化があること。19世紀後半、逆賊とされた金玉均は、死後に凌遅刑に処されたうえで遺体を各地で晒されるという目に遭った。一度売国奴認定された者は、永遠に批判されるのだ。中国にも900年前の罪で土下座し続ける秦檜夫婦の像があり、中華圏の死生観では死後ですら罪が消えることはないようだ。

 

靖国参拝で揉めるのも、この価値観の違いによる所が大きい。「罪を憎んで人を憎まず」という日本との隔たりは大きい。


二つ目は、正義の被害者が最も格上の存在になるという考え方によるもの。「謝罪しろ」という時が、自身の道徳的優位性をアピールできる格好の舞台なのである。

 

2014年にセウォル号沈没という痛ましい事故があったが、犠牲者遺族は訪れた朴槿恵大統領に対し罵声を浴びせた。後日、大統領の謝罪後は「非公開の謝罪は謝罪でもない」「実践も実行もない謝罪は謝罪ではない」と批判。その後、真相究明要求、船員らへの最高刑要求、船体の引き上げ要求、遺族が加わる調査委員会に捜査権と起訴権要求、などを次々に行った。

 

この件は、あまりにやりすぎてしまい「被害者ビジネス」とまで揶揄された。謝罪した相手を格下認定して、「ゆすり」かのような要求を行う「被害者ビジネス」は、日韓関係でもお馴染みだ。

 

韓国では謝罪することが命取りになりかねない。リッパート駐韓大使襲撃事件では、見舞いに来た朴槿恵大統領が、明確な謝罪の言葉もなく、「私も似たような経験をした」と発言した。つまり「私も被害者である」という主張によって、罪人・格下認定を避けようとしたのだ。同盟の危機の事態にある、一国の大統領がそこまでして謝罪を避けなければならないのだ。

 

頻繁に「日本は謝罪しろ」と言ってくる韓国に、絶対に合わせてはいけない。罪人・格下としての関係性を固定しようとする韓国に対して、安易な謝罪が状況を悪化させているだけなのを再認識する時だ。ネットで言われるように、韓国では「謝罪はゴールでなくスタート」なのだ。

 

大戦中の行為への謝罪は、アジア諸国や交戦した国々に対して、等しく反省の意を述べるのが筋であり、韓国を特別扱いする必要はない。

 

「何度でも謝罪しよう」という革新系のメディアや知識人達が、日韓関係を悪化させた張本人なのを自覚して欲しいものだ。

 

 

参考

 

https://japanese.joins.com/article/082/257082.html
中央日報日本語版 2019年08月29日
文大統領「加害者日本が『歴史的事実』…反省して前に進むべき」

 

http://japanese.yonhapnews.co.kr/pgm/9810000000.html?cid=AJP20140429005100882
聯合ニュース 2014/04/29
沈没事故の遺族代表「朴大統領の謝罪は謝罪ではない」

 

https://www.sankei.com/affairs/news/141009/afr1410090011-n1.html
産経ニュース 2014.10.9
事故で犠牲となった高校生らの遺族団体が、特別法で「遺族が加わる調査委員会に捜査権と起訴権を与えるべきだ」と主張。民間人への捜査・起訴権付与は「司法の根幹を揺るがす」と応じない政府・与党に対し、遺族側はソウル中心部でハンガーストライキを行うなどして抗議を示し、遺族を支持する野党が法案審議を拒否してきた。

 

https://japanese.joins.com/article/521/197521.html
中央日報日本語版 2015年03月10日
「私も2006年に似たようなことがあった。すぐにこの病院で2時間半の手術を受けたが、大使も同じようなことに見舞われたと考えると、一層心が痛かった」
「どうしてこんなにも似た点が多いのだろう。傷の部分もそうだが、2時間半の間手術を受けたことも…。当時の医療スタッフが『顔の傷がもう少し長くてもっと深かったら大変なことになるところだった』とのことだったが、どうしてこんなことまで似ているのだろうか」