「あいちトリエンナーレ 2019」慰安婦像撤去支持 2

https://nikkan.hateblo.jp/entry/2019/08/07/225057
の続き


慰安婦像の作者は展示に関する「表現の自由」を主張する前に、この像が政治的プロパガンダとしての意味以上の芸術性持つことを丁寧に説明する必要があった。

 

会場のキャプションは確認していないが、「表現の不自由展・その後」展のHPには岡本有佳氏の解説で、「市民団体が構想し」たこと、「記憶闘争」のシンボルであること、「ウィーン条約違反」の論争などについて触れている。芸術性については、「民衆美術」と「人々の心を動か公共美術」と書いている。

 

東京都美術館での撤去経緯には触れていないし、今回の展示のコンセプトであるはずの過去に撤去された作品以外の、大型の慰安婦像も展示されている説明がない。なぜこの作品が政治的プロパガンダ像ではなく芸術作品なのか、「民衆美術」の一言で済ませられるものではない。

 

慰安婦像の作られた意図やその後の扱われ方は、芸術作品としてのそれではない。慰安婦像の芸術性に対する説明が不十分である以上、外交問題となっている慰安婦像の設置に関して、公共的な芸術祭では不適切と言わざるを得ない。

 


「表現の不自由展・その後」全体の扱いに関して言えば、1998年の全米芸術基金に関する米連邦最高裁判決に見られるように、文化庁が予算執行を精査することには何の問題もない。ただ既に執行された予算や、展示の許可が下りた作品に対して政治家が圧力をかけることには問題がある。

 

名古屋市長も愛知県知事もかなりの悪手を打った。政治家が「中止」に言及すべきではないし、議論も無しにわずか3日で展示全体を中止するべきではなかった。個人的には不快感を感じる作品もあるが、今からでも慰安婦像を除いた上で展示を再開すべきだろう。その後、展示至る経緯については議会や事務局で精査し公表するべきだ。

 

今回の慰安婦像の展示は芸術を隠れ蓑にした情報戦の一環と捉えなければ、今後も国内で慰安婦像の設置が増え続けることになるだろう。

 

 

参考

 

https://censorship.social/artists/kim-seo-kyung-kim-eun-sung/
本作の作品名は《平和の少女像》(正式名称「平和の碑」。「慰安婦像」ではない)。作者は、韓国の彫刻家キム・ソギョン-キム・ウンソン夫妻で「民衆美術」の流れをくむ。民衆美術とは、1980年代の独裁政権に抵抗し展開した韓国独自のもので、以降も不正義に立ち向かう精神は脈々と継承されている。本作は「慰安婦」被害者の人権と名誉を回復するため在韓日本大使館前で20年続いてきた水曜デモ1000回を記念し、当事者の意志と女性の人権の闘いを称え継承する追悼碑として市民団体が構想し市民の募金で建てられた。

 

https://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic032/html/004-013op.html
https://www.freedomforuminstitute.org/first-amendment-center/topics/freedom-of-speech-2/arts-first-amendment-overview/public-funding-of-controversial-art/

1998年のアメリカの最高裁判決では、連邦政府機関の全米芸術基金は「“見苦しい(indecent )”と判断したアート作品に助成金を出す義務はない」とされた。

 

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