慰安婦像は芸術作品ではない

あいちトリエンナーレ2019以降、「平和の少女像」(慰安婦像)が美術展覧会で展示される例が増えている。当ブログで何度か書いているが、慰安婦像は芸術作品に見えるように作られているだけで、政治的プロパガンダの道具にすぎない。

 

慰安婦像は挺対協(現:正義連)の企画から始まり、ソウル市鍾路区の金永椶(キム・ヨンジョン)区長が道路占有許可の対象とならないよう慰安婦像の具体的な造形を考えている。その後、彫刻家夫婦に制作が依頼され、挺対協が在韓日本大使館前に慰安婦像を設置している。現在、慰安婦像は公共造形物指定されているが所有者は挺対協である。

 

慰安婦像を芸術作品だと言うなら、企画・像の造形・設置場所は彫刻家夫婦が構想しなければならず、経緯を振り返るとただの外注業者でしかないことが分かる。もっとも、彫刻家夫婦のキム・ウンソン氏は正義連の理事なので、外注ですらないのかもしれない。

 

つまり、慰安婦像は韓国の政治家が造形を考え、韓国の有力な政治団体が企画・依頼・設置・所有し、世界中に慰安婦像を建立する事業を行っているのである。さらに、韓国の大統領や外務省が慰安婦像の設置(ウィーン条約違反・日韓合意違反)を擁護する言動を繰り返し行っている。どう見ても政治的プロパガンダの道具以外の何物でもない。

 

また、彫刻家夫婦は2016年に慰安婦像の商標権登録を試みており、100体販売で34億ウォン(3億円)以上の売り上げがあったと報道されている。慰安婦像設置は政治団体の営利事業でもある。

 

 

この経緯を読んで、慰安婦像が芸術作品として作られ、扱われていると思う人がいるだろうか?

 

驚くことに、後付けの解釈で慰安婦像は「民衆美術」「関係性のアート」「観客の解釈で芸術になる」などと、それらしいことを言う人が散見される。「民衆美術」と言うが、挺対協・彫刻家夫婦は日本の「民衆」ではない(韓国政府機関の前に慰安婦像を設置すべきでは?)。「関係性のアート」と主張する場合、在韓日本大使館へ向けた挺対協の政治的パフォーマンスとの一体性はさらに高まる。

いずれにせよ、慰安婦像が在韓日本大使館前に政治団体によって違法設置され、日韓対立のシンボル化した時点で、「政治的プロパガンダの道具」になり「外交問題」になってしまっているのが分からないのか、意図的に無視している。

 

これは、例えば北朝鮮関係者が金親子の像を「民衆美術」であり「関係性のアート」として鑑賞しましょう、と試みるのと同じことである。金親子の像は、造形だけ見れば彫刻作品と解釈することもできる。だが現在進行形の「政治的プロパガンダの道具」なので、北朝鮮の政治体制を抜きにして、国際展覧会などで取り上げることは不可能である。あいトリではその状況が起きてしまった訳だ。


慰安婦像設置を擁護する人々は、決して挺対協の韓国での影響力の大きさを語ることはない。(当然、挺対協周辺にちらつく北朝鮮の影も無視している)。あたかも彫刻家夫婦だけで慰安婦像が作られたかのように語る。都合のいい部分だけに目を向け、挺対協の走狗となり外交問題に荷担している。

 

日本の芸術関係者は、他国の政治団体慰安婦像を使って「アート」と「表現の自由」に介入していることを理解出来ているのだろうか?このままでは日本の芸術展は政治団体の遊び場になるだろう。

 

 

参考

 

https://jp.yna.co.kr/view/AJP20170928001100882
2017.09.28 聯合ニュース
少女像は公共造形物指定後も、慰安婦被害者を支援する市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)の所有となる。

少女像は2011年末、挺対協が慰安婦問題の解決を求めて日本大使館前で開いている「水曜集会」の1000回目を記念して建てられた。

同区によると、挺対協は当初、平和碑の設置を望んでいたが、金永ジョン(キム・ヨンジョン)区長が碑石よりは芸術作品である少女像が意味があるとの意見を伝え、「平和の少女像」として建てられることになった。


https://www.recordchina.co.jp/b127942-s0-c10-d0065.html
2016年1月28日、韓国・ソウル新聞によると、在韓日本大使館前の慰安婦像の移設問題をめぐり、同地の自治体首長が「芸術作品であるから移転・撤去はない」と述べた。

日本大使館があるソウル市鍾路区の金永椶(キム・ヨンジョン)区長は27日、同紙のインタビューで「少女像(慰安婦像)を移転・撤去する計画はなく、また、あるわけがない。(移転は)国民的な合意によりなされるべき事案」と述べた。金区長自身は建築が専門。11年の慰安婦像設置の際には「碑石よりも芸術作品としての像が良い」と提案し、形状や名称についてもアドバイスしたと明かした。芸術作品であれば、道路法上の道路占有許可の対象とはならず、また設置された道路が鍾路区の所有である以上、区や設置主体の意思に反し強制的に撤去することはできないという。

 

https://book.asahi.com/article/12820882
2019.10.30
表現の不自由展「平和の少女像」の背景を考える 抵抗の中で生まれた民衆美術 

 民衆美術という背景を知ると、少女像を違った角度から見ることもできる。

 「作者にとって、韓国という国家は、自分を重ねる対象というより、むしろ抵抗の対象にもなります。作者は、ベトナム戦争中に韓国軍が行った民間人虐殺を反省し、悼む像も作っていて、『反日』や『ナショナリズム』で動いているわけではないのです」

 少女像のかかとが少し浮いているところに、日本のみならず韓国社会への問いかけがこめられているという。作者は2015年のイベントで、女性たちが故郷に戻っても居場所がなかったり、被害を語れなかったりしたつらい状況を表していると語った。


*「ベトナムピエタ」(2011年)の存在で慰安婦像の正当性を高めようとしているが、挺対協が慰安婦像を「政治的プロパガンダの道具」として扱うことと、「ベトナムピエタ」は何の関係もない(世界中で「ベトナムピエタ」設置運動をしていれば別だが)。そして、命がけの民主化運動の結果として生まれた「民衆美術」の表現と、現代の他国に対する政治運動としての慰安婦像設置を同列で語っていいのだろうか? 比較が大雑把すぎて「抵抗」という言葉が恐ろしく軽い扱いになっている。謝罪と賠償の「おかわり」は抵抗なのか? まず連想されるのは「被害者ビジネス」という言葉だろう。


https://news.yahoo.co.jp/articles/2d4a78e3b760bff102ac463bfa2817e37c1ed718
2021.06.10 毎日新聞
 東京都内のギャラリーで25日から開催を予定していた「表現の不自由展・その後 東京EDITION&特別展」(東京展)の実行委員が10日、開催への抗議活動を受け、会場を変更し、時期を再調整して開催する方針を明らかにした。実行委が同日、東京都千代田区衆院議員会館で記者会見を開いた。


*「表現の不自由展」記者会見の会場に「衆院議員会館」を選んでしまうあたり、展示を政治的に利用することに何の抵抗感もないようだ。同時に、国会議員に協力者がいることが露呈してしまっている。

 

 

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