慰安婦像展示の争点は「表現の自由」ではなく「外交問題」であるべき

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なぜか慰安婦像が芸術作品と言う前提で議論が進んでしまっているように思うのだが、慰安婦像は政治的プロパガンダのために作られた像であり、その政治性に何の変化も起きていない。他の芸術作品に紛れ込ませて展示されているだけであることを、皆が認識すべきだと思う。

 

「あいちトリエンナーレ 2019」は現代美術展なので、作品の造形的な側面だけで作品が評価されることはない。誰が、何のために作り、どのように評価されているのかが、作品を成立させる重要な要素である。慰安婦像は、政治家のアイデア政治団体の依頼によって作られ、作家のキム・ウンソン氏が述べるように「少女像は数十年間胸の中に隠していた恨みを取り出して、日本の蛮行を責める慰安婦被害者の勇気を尊重するという意味で作った」とされ、その後は慰安婦像の設置を巡り外交問題に発展している。

 

どうひいき目に見ても現代美術作品として作られてはいないし、仮に韓国特有の「民衆美術」だとしても、これまでの慰安婦像の扱われ方は、政治的プロパガンダの道具以外の何物でもない。

 

例えば、北朝鮮金親子の像を今回展示したとしたらどうだろうか?ロシアの政治団体が作った北方領土の領有権を主張する作品を展示したら?「表現の自由」を使って慰安婦像を評価しようとする試みの欺瞞が伝わるだろうか。

 

これはアメリカやオーストラリアなどで起きた慰安婦像設置騒動の再現なのだ。日本が撤去を試みるなら「やはり日本は慰安婦の存在を否定するのか。反省していないのか」という国際世論を作ることが出来る。これが政治運動でなければ何だというのか。

 

「あいちトリエンナーレ 2019」の参加作家ほど、政治運動を密かに紛れ込ませた今回の展示企画者に怒るべきではないだろうか。政治運動家が正体を隠したまま、アートに介入している。「表現の不自由展・その後」などというタイトルにすべきではなかった。堂々と政治的な主張を盛り込んだタイトルを掲げられなかったのか。不誠実で姑息な行為であり、「あいちトリエンナーレ 2019」に泥を塗った。

 

残念ながら、慰安婦像が展示の許可を得た時点で日本の負けが確定している。撤去しなければ慰安婦像を公的に認めた形になり、撤去すれば「表現の自由が奪われた」「慰安婦の存在を否定した」となる。

 

慰安婦問題は2015年に「最終的かつ不可逆的に解決」している。依然として世界中で増えていく慰安婦像が、どのような意図を持って扱われているのか再度認識すべきだろう。もしも「あいちトリエンナーレ 2019」で「表現の自由」を隠れ蓑にした慰安婦像の再展示が行われれば、慰安婦問題を再浮上させるきっかけとなる恐れがある。

 

 

参考

 

http://www.donga.com/jp/List/article/all/20130325/420842/1/高陽市役所にも元日本軍慰安婦の少女像設置

作家のキム・ウンソンさんは、「少女像は数十年間胸の中に隠していた恨みを取り出して、日本の蛮行を責める慰安婦被害者の勇気を尊重するという意味で作った」と話した。

 

 

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