慰安婦像の芸術性は十分に検証されていない

あいトレ検証委員会が、「平和の少女像」(慰安婦像)に関する国内での受け止め方を少しずつ検証し始めたが、慰安婦像の芸術性に対する検証が十分に行われていない。

 

もし、展示を再開することで議論を深めたいと考えているなら、「慰安婦像の芸術性については検証しない」とはっきり宣言して欲しい。そうしなければ、「再開されたから慰安婦像の芸術性は公的に認められた」と左寄りのマスコミが書き立てるのは目に見えている。

 

そもそも、慰安婦像が国際現代美術展での美術史的な批評に耐えうることを、作者と実行委員会は説明する必要があった。慰安婦像が「政治的プロバガンダの道具」ではなく「アート」であることを、多くの観客が納得のいくように丁寧な説明をしなければならない。現状では、韓国において政治的プロバガンダの道具として扱われ、日韓の外交問題になっている以上、極めて慎重かつ論理的に言葉を尽くさなければ現代美術の文脈に乗せられるはずがない。短いキャプションと、展示中止後の「表現の自由」に関する抗議だけでは、慰安婦像の芸術性は何も分からず、展示そのものが目的化しているとしか思えない。

 

あいトレ検証委員会は「政治的プロバガンダの道具」か「アート」かを、観客の解釈の話に持って行こうとしているが、それは最後にすることだ。今は、作者、実行委員会、芸術監督を含めた事務局が、慰安婦像の芸術性を説明しなければならず、検証委員会はそれを出来ていないことを指摘するべきだろう。

 

そうしなければ、「少女像を展示することは、ソウルの日本大使館前に設置された少女像の撤去を日本政府が求めている主張の正当性を愛知県庁として否定することになるのではないか。」に答えることはできないはずだ。「慰安婦像が国際美術展に展示される意義があるのか」に答えを出せなければ、政治的プロバガンダの道具として扱われている現状を覆すことはできない。当然、「あいちトリエンナーレ 2019」に慰安婦像は展示すべきではない。

 

 

慰安婦像に関して、明らかになっていない重要な点がある。慰安婦像の本当の制作主体はだれなのか?という点だ。

 

「あいちトリエンナーレ 2019」にも作家本人が制作作業を行っていない作品があるように、アイデアや制作の指示を出すことで、現代美術作品の作者になることができる。

 

道路占有許可の対象とならないよう慰安婦像の具体的な造形を考えたのは、キム・ヨンジョン ソウル市鍾路区長。像の制作依頼をして、資金を出し、設置したのは挺身隊問題対策協議会(現:日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)。実際に制作を行ったのが彫刻家夫婦である。慰安婦像を現代美術の文脈で考えるなら、作者は挺対協になる。

 

検証委員会が言うように、慰安婦像が「関係性のアート」なら、在韓日本大使館前の集会で行われるパフォーマンスも、挺対協によるリレーショナル・アートということになるのだろう。そして、観客が椅子に座って目の当たりにするのは、在韓日本大使館である。検証委員会は、「現実の日本の政治や政党を直接的に批判、或いは、礼讃するものはない。」としていたが、同一作品である「あいちトリエンナーレ 2019」の慰安婦像からは、在韓日本大使館への思いを感じ取らなくてもいいのだろうか?

 

慰安婦像は芸術性よりも政治性の方が強すぎるのだ。「不自由展」の騒動によって、日本中が挺対協と不自由展実行委員会の岡本有佳氏の狙いに、まんまとのせられてしまっている。

 

彼らは、2015年に「最終的かつ不可逆的に解決」したはずの慰安婦問題を再燃させることができたし、海外には「日本が慰安婦を否定している」「日本の美術界はテロや政府の圧力に屈する」というイメージを広めることができた。これは明らかな政治運動である。検証委員会の報告も待たずに、展示再開を求め地裁に仮処分申請をする手際の良さ。マスコミを呼んで地裁に向かう様子を撮影させるパフォーマンスをするよりも、事務局と話し合いをするべきではなかったのか?

 

この騒動の渦中にいる実行委員会の意図に、展示再開を願う団体や、大手マスコミは触れようとしない。慰安婦像が政治的プロバガンダの道具であることが、明らかになってしまうからだろう。

 

 

参考


https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20160128030/
レコードチャイナ 2016年1月28日
日本大使館があるソウル市鍾路区の金永椶(キム・ヨンジョン)区長は27日、同紙のインタビューで「少女像(慰安婦像)を移転・撤去する計画はなく、また、あるわけがない。(移転は)国民的な合意によりなされるべき事案」と述べた。金区長自身は建築が専門。11年の慰安婦像設置の際には「碑石よりも芸術作品としての像が良い」と提案し、形状や名称についてもアドバイスしたと明かした。芸術作品であれば、道路法上の道路占有許可の対象とはならず、また設置された道路が鍾路区の所有である以上、区や設置主体の意思に反し強制的に撤去することはできないという。


https://www.mk.co.kr/news/politics/view/2017/01/32951/
毎日経済 2017.01.14
区長当選前の26年間の建築家として働いた。その経験をもとにゼオライトの許可は難しいが、芸術作品に分類すると、法的な問題を回避することができると挺身隊問題対策協議会に助言したものである。

黒短い髪に白いチョゴリ、黒のスカート、木椅子とその隣の空の椅子、15度振り上げ見えて大使館を見つめる視線など、現在の少女上の基本コンセプトも、彼した。日本の真の反省を待つという意味で少女上の名前を `待つ`でしようとも提案した。(機械翻訳

 

 

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あいトレ検証委員会の慰安婦像展示に対する検証は不十分

9月21日の公開フォーラムでの、「平和の少女像」(慰安婦像)に対する検証委員会の説明からは疑問しか出てこない。

 

なぜ日本国内で揉めている背景を検証せずに、海外での設置状況や他作家の作った慰安婦像の話ばかりするのか?

韓国系コミュニティが中心となって慰安婦像設置を主導しているのに、海外で受け入れられていることの根拠になるのか?

 

「少女像を展示することは、ソウルの日本大使館前に設置された少女像の撤去を日本政府が求めている主張の正当性を愛知県庁として否定することになるのではないか。」に対する回答が、「海外の野外に設置されているから問題なし」になるのか?

 

「不自由展」には2種類の慰安婦像が展示されたが、テーマに沿っているのはミニチュアの方のみ。実物大で色つきの方を展示したことの理由は明らかにしなくていいのか?

ミニチュアの方が東京都美術館から撤去された理由と「不自由展」から撤去された理由との比較や、展示に至った経緯の妥当性が検証されていないのはなぜ?

慰安婦像の設置に関して、日韓の外交問題として大揉めになっていることを無視するのはなぜ?

 

検証委員会の岩渕潤子氏は美術の専門家として「慰安婦像は現代美術作品なのか」、または「慰安婦像が国際美術展に展示される意義があるのか」に答えなければならないのでは?

 

岩渕氏が個人的に慰安婦像を擁護したいならすればいいが、海外事例に話を逸らさず、「あいちトリエンナーレ 2019」での慰安婦像展示の問題を、論理的に検証して欲しい。

 

 

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↓つづき

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あいトレ検証委員会は、慰安婦像が現代美術作品だと言うつもりだろうか

9月17日「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」第2回会合が行われた。「平和の少女像」(慰安婦像)に関しては、岩渕潤子氏による検証報告があった。

 

「海外では、日韓関係とは無関係にフェミニズム・人権運動の象徴とされる。(例えば、元カリフォルニア州判事ジュリー・タン氏は「この像は、戦争時の性暴力からの女性の解放という現代に続く問題を象徴するもの」と発言)また、韓国では各地に存在し、いわゆる民衆美術として民族統合のシンボルとして広く親しまれている。」「一部の在米日本人が抗議しているが、現地での支持は限定的。」と資料に記述されている。
会合の発言では、「「慰安婦像」という呼称を使っているのは現時点で日本だけ」と語った。

 

色々な疑問が浮かぶ。「“慰安婦”正義連盟」を作り、慰安婦像設置を行ったジュリー・タン氏の発言を、第三者の発言と誤解されかねないような引用をするのはなぜ?在外日本大使館や領事館が設置を反対し、姉妹都市解消まで起きたのに、海外では慰安婦像が受け入れられているという一般化を行えるのか?

 

岩渕潤子氏は「慰安婦問題」に対してどのような姿勢なのか調べてみると、2015年にTwitterで「世界が「謝罪しない日本」の異常さに注目して、日本はどんどん孤立しています。日本人女性であれ、外国人女性であれ「性奴隷を容認する国」である日本がいくら人権や平和を謳っても誰も信用しないでしょう。」と書いている。

 

現在の岩渕氏の慰安婦像に対する見解は不明だが、少なくとも検証委員会の報告内容としてはバイアスをかけすぎている。

 

海外で慰安婦像が広く受け入れられているなら、なぜ「不自由展」に出品したのか?慰安婦像を認めない安倍政権を批判するため?

資料に「現実の日本の政治や政党を直接的に批判、或いは、礼讃するものはない。」と検証委員会自身が書いていることと矛盾する。

 

検証委員会はもう一度真剣に考えて欲しい。慰安婦像設置は外交問題である。「少女像を展示することは、ソウルの日本大使館前に設置された少女像の撤去を日本政府が求めている主張の正当性を愛知県庁として否定することになるのではないか。」という問いに正面から答える責任がある。

 

そして「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」を名乗る以上、「慰安婦像は現代美術作品なのか」、または「慰安婦像が国際美術展に展示される意義があるのか」について、美術史や外交史を踏まえて語って欲しい。もちろん韓国の政治家が慰安婦像の造形を考え、韓国の政治団体「挺対協(現:日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)」の依頼によって作られたことも踏まえて。

 

 

 参考

 

https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/255844_859315_misc.pdf
「これまでの調査からわかったこと」第2回あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 2019年9月17日

・海外では、日韓関係とは無関係にフェミニズム・人権運動の象徴とされる。(例えば、元カリフォルニア州判事ジュリー・タン氏は「この像は、戦争時の性暴力からの女性の解放という現代に続く問題を象徴するもの」と発言)また、韓国では各地に存在し、いわゆる民衆美術として民族統合のシンボルとして広く親しまれている。

世界における平和の少女像について
アメリカでは、韓国コミュニティが設置するものが多い。一部の在米日本人が抗議しているが、現地での支持は限定的。

・一部の日本人が抗議に訪れるたびにメディアの注目を集め、若い世代の韓国系米国人のアイデンティの回復や、薄れつつあるコミュニティの結びつきを深める結果をもたらしているとも言われている。

韓国における平和の少女像
反日の象徴というより、抽象的な民族運動の英雄として誰も反対しないシンボルである。

・「最近はミニ少女像を自室に置いたり、関連のアクセサリーを購入したりするのが流行している」「市民が自発的に(過去の歴史を)記憶するため消費するのは、新たな社会参加の形だ」と評されている。

 

https://togetter.com/li/709062

『ヴァティカンの正体』筑摩新書/岩渕潤子 @tawarayasotatsu
世界が「謝罪しない日本」の異常さに注目して、日本はどんどん孤立しています。日本人女性であれ、外国人女性であれ「性奴隷を容認する国」である日本がいくら人権や平和を謳っても誰も信用しないでしょう。 2015-04-23 10:40:42

 

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韓国の儒教による弊害

ネットでは「対等の関係を結ぶという概念がない」とまで言われる序列社会の韓国だが、その原因が儒教朱子学)にあることはよく知られている。

 

また、韓国の「謎の上から目線」「自己中心的な正義観」「頻繁に嘘をつく」「約束を破る」「被害者ビジネス」なども儒教から発生した文化と言えるだろう。日本人が違和感を感じる韓国人の言動の多くが儒教由来だが、儒教を受け入れた中国や日本では、韓国ほど厳密な道徳的上下関係を持たないし、他者に対する排他性も強く出てこない。

 

なぜ韓国は、あらゆる事柄を道徳的な上下関係に置き換え、善か悪か、勝つか負けるかに還元してしまうのか?どうしてあそこまで現実や史実を無視してまで、非論理的になれるのだろうか?

 

儒教における「理」は、天から与えられた善であり、決して論理的なものではない。李氏朝鮮ではこの「理」を語るために理気論争を行い、敗北した官僚の大規模粛清「士禍」まで起きた。論争で勝った側は、道徳的権威とともに権力と富を独占できた。こうした「理」への偏りが、現実よりも観念を優先させる韓国の風潮を生んでいるのだろう。自分の考える、あるべき理想の姿がなにより重要なのだ。それが例えば、法律よりも(自分の考える)正義を優越させる「国民情緒法」という形にも表れている。極めて独善的な解釈によって、事実やルールを歪めてしまう。

 

また、儒教における「孝」は親に従うこと、「悌」は兄や年長者に従うことで、共に根本的な徳目として重視されている。1908年に反日武装運動初の全国規模の義兵組織「13道倡義軍」が結成され、ソウル進撃を試みる。ところが、総大将の李麟栄は父の訃報を受け、喪に服するために帰郷してしまう。結果、義兵は日本軍に敗北する。軍事的合理性で言えば、信じがたい敵前逃亡のエピソードだ。

 

韓国では現在でも「孝」が重視され、家族内での上下関係や縁故採用など、血縁の繋がりを社会関係の秩序の根幹と見なしている。大統領ですら家族主義から無縁でいられず、縁者への利益誘導や不正によって退任後に逮捕される例が枚挙にいとまがない。不正や嘘をついてでも家族を守る意識が強く、公よりも個人(家族)の繋がりを最優先させる。

 

儒教徳治主義は、家族間の「孝」を根本としながら、地域統治、国家統治まで延長していく考え方だ。これは「礼」と呼ばれ、上下関係を固定することで、臣民を統治するために考え出された。李氏朝鮮では朱子家礼や,農村における郷約によって「礼」が中国以上に徹底され、徳の高い者や目上の者には絶対服従の序列社会が形成された。韓国人が他国を「父」や「兄弟」などと擬制血縁関係で語るのも、これに由来している。

 

韓国では、父系血縁集団の「宗族」を核にした身内を「ウリ」と考え、内輪の狭い世界だけを仲間だと考える傾向がある。そこから排除された他人は「ナム」と呼ばれ、攻撃対象になる。「ウリ」の範囲はその時々で拡大し、韓国全体が「ウリ」になることもあれば、日本人が世界的な活躍をした際には、「我々アジアの誇り」という具合にアジア全体を「ウリ」に入れる。

 

仲間以外は敵という発想は、日本人から見れば不気味な思想である。だが、儒教の思想を巡って数百年対立を繰り返したり、仏教や陽明学儒教の一派)などの他宗教を徹底的に排除する歴史を見ると、朱子学の排他性が大きく影響しているのだろう。儒教の本場中国では科挙をほとんどの身分の人間が受けることができたが、李氏朝鮮では応試資格を制限し、両班階級が合格者の大部分を占めていたという。そのため世襲身分が固定化し新興勢力との党争が激化していった。そこで理論闘争に敗れれば、処刑や追放をされてしまう。韓国が隙あらば声高に正統性の主張を繰り返すのは、道徳的優位性の確保が生死を分けるほど重要だったことに起源を持っている。

 

身分制の固定化した李氏朝鮮で、一発逆転の機会であるはずの、科挙を受ける資格をもらえない人間はどうなってしまうのか?ひたすら「恨(ハン)」を溜め込むしかないのである。過酷な上下関係の中で下位に置かれた民衆の不満の行き所はどこにもなく、不満の累積と解消願望が「恨」となり現れる。李氏朝鮮では「恨」の解消は一時的にしか起こりえなかったが、現代では「正義の被害者」として「恨」の解消を行うことができる。韓国人のデモ好きや「私が被害者である」という主張は、上下関係を逆転させる絶好の機会であり、道徳的優位性を全面に押し出す、まさに正義の執行なのだろう。

 

韓国の反日ナショナリズムの根底には様々な「恨」が含まれている。儒教的な文脈で中華の正統な後継者を自称する「小中華思想」の韓国にとっては、辺境の島国である日本によって、戦争もせずに併合されたことが耐えがたい屈辱の歴史である。日本は夷狄(未開の民)という前提から始まり、朝鮮の先進技術を百済朝鮮通信使が伝えたのにも関わらず、悪辣な軍事侵略を行った恩知らずな輩という筋書きだ。加えて、身近な序列社会のうっぷんが、絶対悪である日本(日帝)への攻撃に変換されている。日本より徳が高いと考える韓国の、一方的な視点から導かれた正義の反日なのだ。

 

儒教は日本や中国ではこのような影響をもたらしていない。排他性を加速させ、序列社会を徹底し、「恨」を増幅させた韓国特有の儒教理解によるものだ。それによって、善か悪か、勝つか負けるかという二項対立的な世界観を維持することになった。

 

道徳的優位性への異様なこだわりも、中華の正統な後継者を自称しながら、現実世界では清に服従せざるを得なかった事情と関係が深い。「東方礼儀の国」を自称する韓国だが、本来は中国に「礼」を尽くす東方の国という意味が、「考」などの「礼」を守る礼儀正しい国という風に変換されている。

 

現在では、あくまで身内に対する「考」であって、他人や他国に対する礼儀ではないことに注意が必要だ。特に日本に対しては格好の攻撃対象であり、日本を不道徳であると批判する行為そのものが、道徳的な正義で徳の高い行為という発想なのだ。

 

日本を格下扱いしたい韓国と、まともな二国関係が結べるとは思わない方がいいだろう。日本をおとしめることが、韓国にとっての儒教的な正しい序列関係であり、正しい礼儀ということになるのだ。

 

 

参考


https://japanese.joins.com/article/862/248862.html
中央日報日本語版 2019年01月08日
韓日間の葛藤事案に関する限り、韓国には思想と良心の自由、表現の自由が事実上存在しないと言っても過言ではない。このような現実を植民支配の傷だけで説明することができるだろうか。道徳より現実を重視する日本に道徳のものさしだけ突きつけているから互いに接点を探せない。永遠の平行線だ。

 

 

無限の謝罪を要求する韓国

韓国の文大統領は8月29日「過去を記憶して省察することには終わりがない。一度反省をしたので反省が終わったとか、一度合意したので過去として過ぎ去ったとして終えられるものではない」と日本を批判した。まるで朴槿恵前大統領の「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」という発言を彷彿とさせる。

 

韓国はなぜ何度も謝罪を求めてくるのか?

 

実は、言葉通りに真正性のある謝罪をして欲しいという意図ではない。一言でまとめるなら「罪人・格下として無限に言うこと聞け」ということになるだろうか。これには以下のような二つの背景がある。

 

・謝罪=永遠に罪人 
・謝罪=格下

 

一つ目は、罪人は永遠に罪人であり、文字通り「死者に鞭打つ」文化があること。19世紀後半、逆賊とされた金玉均は、死後に凌遅刑に処されたうえで遺体を各地で晒されるという目に遭った。一度売国奴認定された者は、永遠に批判されるのだ。中国にも900年前の罪で土下座し続ける秦檜夫婦の像があり、中華圏の死生観では死後ですら罪が消えることはないようだ。

 

靖国参拝で揉めるのも、この価値観の違いによる所が大きい。「罪を憎んで人を憎まず」という日本との隔たりは大きい。


二つ目は、正義の被害者が最も格上の存在になるという考え方によるもの。「謝罪しろ」という時が、自身の道徳的優位性をアピールできる格好の舞台なのである。

 

2014年にセウォル号沈没という痛ましい事故があったが、犠牲者遺族は訪れた朴槿恵大統領に対し罵声を浴びせた。後日、大統領の謝罪後は「非公開の謝罪は謝罪でもない」「実践も実行もない謝罪は謝罪ではない」と批判。その後、真相究明要求、船員らへの最高刑要求、船体の引き上げ要求、遺族が加わる調査委員会に捜査権と起訴権要求、などを次々に行った。

 

この件は、あまりにやりすぎてしまい「被害者ビジネス」とまで揶揄された。謝罪した相手を格下認定して、「ゆすり」かのような要求を行う「被害者ビジネス」は、日韓関係でもお馴染みだ。

 

韓国では謝罪することが命取りになりかねない。リッパート駐韓大使襲撃事件では、見舞いに来た朴槿恵大統領が、明確な謝罪の言葉もなく、「私も似たような経験をした」と発言した。つまり「私も被害者である」という主張によって、罪人・格下認定を避けようとしたのだ。同盟の危機の事態にある、一国の大統領がそこまでして謝罪を避けなければならないのだ。

 

頻繁に「日本は謝罪しろ」と言ってくる韓国に、絶対に合わせてはいけない。罪人・格下としての関係性を固定しようとする韓国に対して、安易な謝罪が状況を悪化させているだけなのを再認識する時だ。ネットで言われるように、韓国では「謝罪はゴールでなくスタート」なのだ。

 

大戦中の行為への謝罪は、アジア諸国や交戦した国々に対して、等しく反省の意を述べるのが筋であり、韓国を特別扱いする必要はない。

 

「何度でも謝罪しよう」という革新系のメディアや知識人達が、日韓関係を悪化させた張本人なのを自覚して欲しいものだ。

 

 

参考

 

https://japanese.joins.com/article/082/257082.html
中央日報日本語版 2019年08月29日
文大統領「加害者日本が『歴史的事実』…反省して前に進むべき」

 

http://japanese.yonhapnews.co.kr/pgm/9810000000.html?cid=AJP20140429005100882
聯合ニュース 2014/04/29
沈没事故の遺族代表「朴大統領の謝罪は謝罪ではない」

 

https://www.sankei.com/affairs/news/141009/afr1410090011-n1.html
産経ニュース 2014.10.9
事故で犠牲となった高校生らの遺族団体が、特別法で「遺族が加わる調査委員会に捜査権と起訴権を与えるべきだ」と主張。民間人への捜査・起訴権付与は「司法の根幹を揺るがす」と応じない政府・与党に対し、遺族側はソウル中心部でハンガーストライキを行うなどして抗議を示し、遺族を支持する野党が法案審議を拒否してきた。

 

https://japanese.joins.com/article/521/197521.html
中央日報日本語版 2015年03月10日
「私も2006年に似たようなことがあった。すぐにこの病院で2時間半の手術を受けたが、大使も同じようなことに見舞われたと考えると、一層心が痛かった」
「どうしてこんなにも似た点が多いのだろう。傷の部分もそうだが、2時間半の間手術を受けたことも…。当時の医療スタッフが『顔の傷がもう少し長くてもっと深かったら大変なことになるところだった』とのことだったが、どうしてこんなことまで似ているのだろうか」

 

 

常に上から目線の韓国

韓国人は言葉の端々が自信過剰で、「世界唯一の単一民族」を自称する自民族中心主義的な思想を持っている。「ハングルは世界最高の文字」「韓国人のIQは世界一」などと、臆面もなく主張するネットの書き込みが頻繁に見られる。

 

他にも、○○宗主国や○○強国など、細かい優位性を見つけては、韓国の優秀さを誇っている。ある意味で自分自身にそう言い聞かせている面があるだろう。世界最高という自負心は、願望によって支えられているからだ。

 

冷静に考えれば韓国の経済状況は厳しく、少子化も日本以上に進んでいる。中国の追い上げによる打撃も今後避けられない。自虐的に地獄のような自国を形容する「ヘル朝鮮」という言葉もあるので、常時「幸せ回路」を回している訳ではないようだ。

 

それでも、あれほど上から目線で、日本やアメリカにさえ講釈をたれる自信はどこからきているのだろうか?

 

中華思想」という中国を中心に考える、儒教の文化優越主義があるが、韓国はその正統な後継者を自認する「小中華思想」を持っている。大中華であった明の滅亡後、清を夷狄(未開の民)と捉え、朝鮮が中華を正式に後継し、最高の道徳的優位性を持つと考えるようになった。「礼儀の正しさで韓国の右に出る民族はいない」というネットミームが思い出される。

 

日本は李朝前期から倭夷であり、辺境の島国程度の扱いである。近代からは西洋を洋夷と捉えたために、開国が遅れるきっかけともなった。

 

小中華思想」の韓国にとっては、日本やアメリカに負けている現状が我慢ならないのである。せめてもの趣旨返しとして、上から目線で日本に注文をつけてみるが、一時的なストレス解消にしかなっていない。最近の話だと、2017年にトランプ大統領国賓で招いた韓国は、晩餐会で360年の伝統を誇る醤油を出し、米国建国よりも古い歴史があるという優越感を誇示したと評された。実にセコい。

 

韓国人が日本にする定番の悪口にも、この上から目線が込められている。「劣等で未開」「倭猿」「背が低い」「捏造民族」など劣等性・未開性・野蛮性を強調するものが多い。また、「百済が日本を作った」「裸で文字も持たない野蛮人だった」「朝鮮の先進文化を盗んでいった」など、「韓国起源説」に繋がるものもある。

 

小中華思想」の観点に立てば、日本が朝鮮半島よりも先進的なはずがなく、すべて「朝鮮から盗んだもの」との考えに繋がる。もちろん事実ではない。百済が日本に伝えたものは一部あるが、それも中国起源の文化である。

 

また、天皇を侮辱しつつも、百済系などと言ってみたり支離滅裂。果ては、日本が朝鮮半島を故郷と捉え、再侵略を狙っているという説がまことしやかに唱えられている。率直にいって気持ちが悪い。戦時中の忌まわしい「日鮮同祖論」ですら、日本が古代から半島の支配者だっという発想であり、故郷と捉えた訳ではない。

 

事実よりも願望を信じようとする韓国にとって、日本などに対する道徳的優位性は絶対である。経済規模が比較的大きくなり、以前ほど日本との格差はなくなった。韓国はさらなる自信をつけ、劣等な日本を懲らしめられるようになってきたのだ。日本への上から目線は減るどころか、今後さらに拡大していくだろう。

 


http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html
天皇陛下の記者会見 2001年12月18日
私自身としては,桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。

*韓国に天皇百済系説が広まるきっかけとなった会見。

仮に百済系なる割合を調べると、桓武天皇の母親の高野新笠は約0.098%で、そこから76代後の今上天皇は約0.00000000000000000000000000065%という天文学的な割合になる。


http://japan.hani.co.kr/arti/culture/34130.html
ハンギョレ 2019-08-18
日本は、自分たちを大陸から下った天孫民族と自任してきた。韓国を植民地にしたことは、すなわち自分たちの「故郷」を植民地にしたつもりだった。日本は、韓国を越えて満州を経て中国を侵略し、日本民族の北方起源説でこれを正当化してきた。

 

 

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止問題、論点まとめ

いまだに騒動の続く「表現の不自由展・その後」展中止問題。それほど複雑な話ではないと思うのだが、連鎖的に政治家の発言や脅迫行為などを引き起こしたので、問題が重層化しているのだろう。そこで個人的に論点をまとめてみた。

 

前提として、津田氏のインタビュー発言(webDICE)にあるように「「慰安婦」問題がこの企画のコア」だったということは強調しておきたい。また、今回の「不自由展」のテーマに最もふさわしいと思われる、会田誠氏の「檄」という作品を、津田氏が推薦したのだが、実行委員会の岡本有佳氏が反対している。このことは、実行委員会が本当に「表現の自由」に関心があったのか?という疑問を抱かせる。

 

 

①芸術
①-1 「表現の自由」の侵害
①-2 検閲かどうか
①-3 開催3日で中止したのは妥当か
①-4 天皇の肖像の扱い 
①-5 「平和の少女像」(慰安婦像)は展示にふさわしいか

②公共性
②-1 政治家の発言が適切か
②-2 公金が投じられた芸術祭のあり方
②-3 展示に至る経緯の妥当性

③運営
③-1 芸術監督は津田氏でよかったのか?騒動後の対応は?
③-2 抗議・脅迫・テロ予告
③-3 安全性確保、苦情対応

④その他の反応
④-1 一部の作品がヘイト(差別煽動)なのかどうか 
④-2 マスコミの煽り

 


①芸術
①-1「表現の自由」の侵害
https://www.asahi.com/articles/ASM8G5SFJM8GUPQJ005.html
横大道聡教授(憲法学)によれば、「刑事罰などによって表現活動を妨げられた訳ではないので、直ちに表現の自由の侵害ということは困難を伴う」とのこと。
http://haps-kyoto.com/haps-press/geijyutuhanreisyu/25sen/
本展の出品作家大浦信行氏が関わる、「富山県立近代美術館天皇コラージュ事件」では収蔵品・図録の閲覧禁止をめぐる裁判で、作家が作品及び図録を鑑賞してもらう権利の侵害を理由で訴えを起こすも、原告の全面敗訴。

→美術展からの作品の撤去を「表現の自由」の侵害とみなすことは難しそう。しかし、抗議の起きそうな作品展示を自粛する傾向を生んでしまうので大いに問題あり。芸術を「自然権における自由」の象徴として捉えるなら、一度展示の許可を得たものを行政が撤去するのは最大限慎重になるべきで、近代国家としての成熟度が試されると言えるのではないか。

 

①-2 検閲かどうか
https://blogos.com/article/395951/
辻田真佐憲氏は「検閲も、政府が原則として法律にもとづいて行うものですから、今回の展示中止に至る事態を、ただちに「検閲」と断じていいものかどうか」とのこと。

→「検閲」は世の中に出せないよう政府が取り締まるもので、今回の展示中止は「検閲」ではない。

 

①-3 開催3日で中止したのは妥当か
http://haps-kyoto.com/haps-press/geijyutuhanreisyu/25sen/
富山県立近代美術館天皇コラージュ事件」控訴審では、外部団体による執拗な抗議などから、美術館の管理運営上の支障を生じる高い可能性があることが客観的に認められる場合には不許可や拒否を行う正当な理由となった。

→事前の議論無しにわずか3日で中止したのは問題があると思われる。抗議が起こるのは十分に予想できたので、事務局の怠慢と言われても仕方がない。脅迫やテロ予告などに対する対応が妥当だったのか検証が必要。個人的には「平和の少女像」(慰安婦像)を除いて再開すべきだと思う。

 

①-4 天皇の肖像の扱い 
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2230/KJ00000692792-00001.pdf
天皇についてはプライバシーの権利や肖像権は制約を受けることになる」と判示

→日本の象徴である天皇に対する社会通念上の敬意が必要。どこが限度なのかは議論を深める必要がある。

 

①-5 「平和の少女像」(慰安婦像)は展示にふさわしいか
→すでに本ブログで書いているが、慰安婦像は政治性を上回るだけの芸術性を説明できていないので、韓国の政治的プロパガンダの影響下にある。公共的な美術展には、明確にふさわしくない政治運動の一環と言える。

https://nikkan.hateblo.jp/entry/2019/08/07/225057

https://nikkan.hateblo.jp/entry/2019/08/09/085338

https://nikkan.hateblo.jp/entry/2019/08/17/201334

 

 

②公共性
②-1 政治家の発言が適切か 
https://www.tokai-tv.com/tokainews/article_20190802_92815
河村たかし名古屋市長「日本国民の心を踏みにじるものだねこれは、これはいかんと思いますよ」「即刻展示を中止していただきたいですね。表現の自由って…自由ってなんで認められるかというと、『自由の相互承認』といいますけど、どう考えても日本国民の心を踏みにじるものだね、これは。日本人の税金を10億も使った場所で、あたかも公的にやっているように見えますわね」
菅義偉官房長官「審査時点では具体の展示内容についての記載はなかったことから、補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査した上で適切に対応していきたいと思います」

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20294
松井一郎大阪市長「税金投入してやるべき展示会ではなかった。表現の自由とはいえ、たんなる誹謗中傷的な作品展示はふさわしくない。慰安婦はデマ」


→河村市長の発言は「展示の中止」に言及した所に問題がある。菅官房長官の発言は問題なし。1998年の全米芸術基金に関する米連邦最高裁判決に見られるように、文化庁が執行前の予算を精査することは当然。松井大阪市長の発言は「たんなる誹謗中傷的な作品」「慰安婦はデマ」について詳細に説明しないと無責任。

政治家が、すでに展示の許可を得たものについて発言する時は、最大限の注意を払うべき。近代国家として「自由」を遵守していないと、外国から思われても仕方ない。

 

②-2 公金が投じられた芸術祭のあり方
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2230/KJ00000692792-00001.pdf
富山県立近代美術館天皇コラージュ事件」控訴審判決では「芸術上の表現活動の自由についていえば、芸術家が作品を製作して発表することを公権力によって妨げられることはないが、公権力に対し、芸術家が自己の製作した作品を発表するための行為、たとえば、展覧会での展示、美術館による購入等を求めることはできないといわなければならない。」とされる。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20275
本作のミニチュアは2012年の公募展「JAALA国際交流展」(東京都美術館)でも展示されたことがあるが、同館の運営要項に抵触するとして会期4日目に撤去された経緯がある。
https://www.tobikan.jp/media/pdf/report_management.pdf
施設等使用の不承認基準-条例第 3条関連
(3) 実施する事業が特定の政党・宗教を支持し、又はこれに反対する等、政治・宗教活動をするためのものと認められるとき。

→公共施設や公金の支出に基準があるのは当たり前。「表現の自由」で何でも出来るようになる訳ではない。


②-3 展示に至る経緯の妥当性
→冒頭に書いたとおり、津田氏のインタビュー発言(webDICE)にあるように「「慰安婦」問題がこの企画のコア」だったということは大いに問題がある。

http://www.webdice.jp/dice/detail/5849/
そして、会田誠氏の「檄」という作品の展示を、実行委員会の岡本有佳氏が反対したことは、明らかに政治運動家としての目論見が感じられる。

個別の作品が政治的であることには何の問題もない。それを展覧会として組み上げる時に、展示の狙いがどのようなものかが重要になる。政治的に偏りすぎた「不自由展」の開催経緯を詳細に検証すべき。

 

 

③運営
③-1 芸術監督は津田氏でよかったのか?騒動後の対応は?
→津田氏が芸術監督に選ばれたと聞いたときは、個人的には「何で?」という印象を持った。分野外の人間が芸術監督を務めることは悪くないと思うので、良い先例となるように頑張って欲しい。現在までの津田氏の対応は良いとはいえない。美術展における「表現の自由」が後退してしまった感すらある。会期終了後に津田氏を芸術監督として選んだ妥当性を検証すべき。

 

③-2 抗議・脅迫・テロ予告
→度を超えた執拗な抗議や脅迫・テロ予告は取り締まるべき。個人的には「不自由展」の企画者にもっとも抗議すべきであって、個別の作品は会場で鑑賞し背景を理解した上で抗議文などを書くのが適切だと思う。慰安婦像は即刻撤去すべき。

 

③-3 安全性確保、苦情対応
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20283
津田大介芸術監督「リスクの想定、展示への対策は最優先にして進めてきましたが、想定を超える事態となってしまった。円滑な運営ができないと判断したことをお詫び申し上げます」「電凸(でんとつ)することで公立の文化事業を潰せてしまう、という表現の自由が後退する悪しき事例をつくってしまった」

https://mainichi.jp/articles/20190818/k00/00m/040/315000c
津田大介芸術監督「来場者を人質に取るような芸術、文化へのテロリストの要求に屈した」

→あまりにもお粗末な事務局の対応。歯を食いしばってでも展示を継続させるのが「表現の自由」を守ることではないのか。天皇や日本軍を否定的に扱うような作品を作れば、保守系の方面からの苦情が殺到するのは誰でも予想できる。もし、展示中止が最初から狙いだったとすれば、相当悪質である。

 

 

④その他の反応
④-1 一部の作品がヘイト(差別煽動)なのかどうか 
→政治的な主張を込めた芸術作品は過去にも多く作られているので、個別の作品や作家の思想については丁寧に検証した方がいいだろう。「不自由展」の問題は、そのような作品が「あいちトリエンナーレ 2019」で集められたことである。国際展という場での、慰安婦問題や日本軍批判への奇妙な偏りが「ヘイト」という言葉を連想させてしまっている。

 

④-2 マスコミの煽り
https://dot.asahi.com/wa/2019080700102.html?page=3
戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏「大日本帝国にシンパシーを感じている政治家たちが自分たちの政治的意図を達成するために、あたかも日本人全体に対する攻撃であるかのように話をすり替えているのです」

https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/azuma
企画アドバイザーを務めていた東浩紀氏「『表現の自由』vs『検閲とテロ』という構図は、津田さんと大村知事が作り出した偽の問題だと考えています」

→個人的には「不自由展」の最大の問題は、慰安婦像の展示という「外交問題」だと思っている。革新系のメディアは「表現の自由」が政治家やテロに侵害されたことを書いて、古くさい保守vs革新の対立のように仕立てているが、そのせいで議論全体が進んでいない。展示が中止されてしまった元々の原因を考えれば、「表現の自由」が問題の核心ではないことはすぐに分かるはず。

 

 

これらの論点には、重要なものあるし、古くさい政治対立もまざっている。


ものすごく単純化して結論づければ「左よりの運動家が国際芸術祭を台無しにした」ということだろう。政治運動をやりたければ、「あいちトリエンナーレ 2019」とは関係のないところでやるべきだ。